マルマサの歴史を紡ぐ茶師の願い「人々のそばにいるお茶でありますように」【静岡県・牧之原茶】
現代では、「茶師」と一言で言っても、その役割は非常に多岐にわたります。茶畑から生葉を摘み、荒茶を仕上げる茶農家。荒茶を製茶して商品に仕上げる茶問屋。イベントでお茶を振る舞い、普及活動を行う手揉み茶師や日本茶インストラクター。それぞれの工程に専門分野を持つ茶師が茶業に携わっています。
今回取材したのは、お茶づくりの全工程で活動する茶師・間渕明日香さんが代表を務める茶農家マルマサ。江戸時代から続く茶農家マルマサは、明治期には地域の茶産業の中心として活躍しました。間渕さんはその歴史を受け継ぎ、マルマサの屋号を掲げてお茶づくりに取り組んでいます。この記事では、江戸時代まで遡るマルマサの歴史や、間渕明日香さんが茶師を志すようになった経緯など、インタビューを交えてお伝えします。
マルマサとは
マルマサとは、静岡県牧之原市坂部に位置する茶農家です。代表を務めるのは間渕明日香さん。
マルマサの歴史は古く、記録によると江戸時代から現在の土地に茶畑があります。一度は廃業しましたが、以降も先祖代々の茶畑を守り続け、収穫した生葉は牧之原市内の製茶会社などに卸売りしていました。
2021年、初代から数えて5代目にあたる間渕明日香さんが屋号‘’マルマサ‘’を復刻。マルマサの茶師としてお茶づくりを始めました。
間渕明日香さんは静岡県茶手揉保存会の会員であり日本茶手揉み教師補の資格、日本茶インストラクターの資格を所持しています。
マルマサのお茶紹介
マルマサでは、茶畑で摘んだ茶葉を茶業関連会社が有料で貸し出している製茶工場に運び入れ、間渕さん自らが製茶し、販売しています。マルマサのお茶のコンセプトは、日常で人々のふれあいの傍らにある「そばにいるお茶」。ここでは、マルマサのお茶を少しだけご紹介します。
悟くり-Gokuri-【煎茶】
新茶時期の八十八夜に摘み取った品種茶「つゆひかり」の中蒸し煎茶。新茶ならではのフレッシュな味と香り、そして焙煎香がバランスよく調和しています。
寿すり-Susuri-【煎茶】
マルマサの茶園でもっとも早く芽吹いた品種茶「やまかい」の浅蒸し煎茶。「やまかい」ならではの芳醇な香りが最大限に活きるように仕上げられており、封を開けたときから香りが楽しめます。ふじのくに山のお茶100選認定茶です
嘉たり-Katari-【紅茶】
6月に摘み取った品種茶「静7132」を製茶した後、冷暗所で3ヶ月間熟成させた紅茶です。深いコクとすっきりとした甘味、そしてカラメルのようなほろ苦い余韻が楽しめます。リピーターも多く、「甘い食べ物の代わりとして飲みたい」と好評です。
インタビュー : 『へんげ茶師』としての心意気と、日常に寄り添うお茶を届けたいという想い
『へんげ茶師マルマサ』代表の間渕明日香さんにお話を伺いました。
茶畑からお客様の元まで : お茶づくりのあらゆる工程で活躍する茶師を目指す
–間渕明日香さんはマルマサの屋号のもと、『へんげ(変化)茶師』として活動されているのですね。具体的にはどのような取り組みをされているのですか?
『へんげ(変化)茶師』の取り組みは、お茶の個性を活かして、飲む人に寄り添ったお茶を作り、お茶の楽しさを伝えていくことです。
茶樹の品種、畑の土、製造方法、飲み方によって変化するお茶の面白さ。
そうしたお茶に関わるあらゆる感覚や、技術を身に付けた茶師として『へんげ(変化)茶師』と名乗ることを決めました。(※『へんげ(変化)茶師』は間渕さんの造語です。)
–とても難易度の高い取り組みのように感じます。一般的に日本茶は、消費者のもとへ届くまでに複数の茶業者を経ますよね。茶畑で生葉を収穫する茶農家、茶工場で製造に携わる職人、茶問屋で商品づくりに取り組むブレンダー。その全ての工程に通じていなければならないのではないですか?
はい。実際に私は茶畑、茶工場、そしてお客様の前へと、お茶づくりの全ての工程に携わっています。
通常、お茶づくりの各工程は分業制で行われており、それぞれの専門分野に特化した『茶師』がお茶の流通に関わっています。私はそうしたお茶づくりの工程の全部をやってみたいのです。
お茶づくりのどの工程のプロフェッショナルにも“変化”し、常にお客様に喜んでいただけるような仕事ができる茶師。それが私の理想とする茶師です。
『マルマサ』の茶師たちの足跡からつづく『へんげ茶師』としての歩み
–2021年に間渕さんが復刻させた屋号『マルマサ』について教えていただけますか?
静岡県牧之原市坂部(坂口)の茶農家・間渕家は、記録の残る限り文政9(1826)年より、現在の土地に畑を持ち農業を営んできました。茶業に関する最も古い言及は明治期にまで遡ります。当時の茶師・間渕市五郎の日記や書類からは、その様子が伺えます。
市五郎は地元の茶業組合の総代も務め、地域の茶産業の中心となった人物でした。そして市五郎の次代、私の曽祖父にあたる政雄が茶業を継いだ際に掲げた屋号が『マルマサ』(「〇」に「政」―)です。
▲曽祖父の屋号「マルマサ」の焼印(2022年6月)
政雄は茶時期になると、布団で寝ることも惜しみ、縁側で横になって休んでは仕事をしたといいます。亡くなった後、戒名に「茶」の文字がつくほど、お茶を愛した人だったようです。
▲曽祖父の戒名には「茶」の文字があります。
大正初期に政雄が新しく建てた茶工場は「茶部屋」と呼ばれ、現在も建屋が残されています。残念ながら、その後マルマサとしての製茶・販売業は廃業し、製茶機械も失われました。
▲大正初期に建てられた木造の茶部屋
–『マルマサ』のルーツは江戸時代にまで遡るのですね。
一度は屋号を失いましたが、政雄の背を見て育った、私の祖父・途シ男は、茶栽培に特化して、代々の茶畑を守り続けました。
途シ男は、近隣の農家と共に山あいの畑の開墾事業に取り組み、自園の改植にも積極的でした。こうした昭和後半から平成にかけて行われた茶樹の品種導入が、現在のお茶づくりに大きく寄与しています。
そして令和3(2021)年、私が『マルマサ』を再び復刻しました。現在では「へんげ茶師マルマサ」として畑仕事と製造、商品企画、小売販売まで手がけています。
数多の師匠たちとの出会いが導く『へんげ茶師』への成長
–間渕さんは市五郎から数えて5代目にあたるのですね。間渕さんが茶業界に足を踏み入れた時、既にマルマサは廃業していた状態だったとなると、ご自身はどのようにお茶づくりを身に付けたのですか?
私に茶を教えてくれたのは、お茶の試験場でも、家族でもない。茶業界に携わる人々です。
幼少期には畑仕事を手伝い、新社会人として鹿児島の製茶工場での仕事に携わりました。静岡に戻ってきてからも、さまざまな方々からお茶の知識や技術を学んできました。もう何人、兄貴分や師匠を捕まえてきたのか分かりません。
その中には、マルマサの創業者・政雄を知る人もいて、“お前は曽子爺の生まれ変わりだ”と言われたこともあります(笑)。
ありがたいことに、「へんげ茶師マルマサ」としての活動を通して、私を応援して下さる方が少しずつ増えているのを実感しています。
現在は、大手の茶農家や茶工場で嘱託社員として働きながら、茶師としての鍛錬を積み重ねています。
これまでの厳しい現状と希望ある未来が交錯する茶業の道のり
–現在の茶業界はとても厳しい業界だと思います。そうした業界に進むことに迷いはなかったのですか?
茶業界がとても厳しい現状であることは理解しています。急須を使い茶葉でお茶を飲む人が減って、茶市場でのお茶の卸価格は下がる一方です。放棄茶園がどんどん増えているのも目の当たりにしています。
私が茶業に進むことを心配する声もあります。私自身、あるとき師匠が「お茶は趣味でやるのがいい」と言っていた意味が、日が経つほどにわかってくるのも事実です。
–現在のお茶業界で働くことは相当厳しいのですね。
そうかもしれません。でも悲観的に考えている人ばかりではないのです。この先、茶業に関わる人が減り続けていくのであれば、逆に残った者が勝つ局面がくるかもしれません。
お会いした茶農家さんのなかにも、はっきり「茶の未来は明るい。とにかく残ることが今は大事なんだ」とおっしゃっている方もいました。
ときには「好きなだけでお茶はできない」と言われ、ときには「好きじゃなきゃお茶はできない」とも言われます。どれも茶農家の真実なのではないでしょうか。
日常にお茶がある心地よい時間に魅せられて歩む茶師の道
–間渕さんが茶師を志すようになったのはいつ頃からですか?
最初から茶業に就こうと考えていたわけはありません。長い回り道を経て、ようやく茶産地の静岡に自分が根付いた、という感覚です。
私は高校までは静岡に住んでおり、大学は鹿児島の大学に進学しました。そこではお茶とは別のことを専攻していました。卒業の際、何か自分に向いていることはないか、と考えた時に初めて実家のお茶に目がいきました。私は鹿児島県の製茶工場で働き、お茶の栽培や製造方法や販売を学ぶようになりました。
静岡に戻ってきた後、地元の茶工場で働き手を募集しているという話を聞きました。その仕事が鹿児島で携わっていた仕事と同じだったので、働いてみることにしました。
それがとても楽しくて、お茶との関わりを幸せに感じた瞬間でした。お茶にのめり込むようになったのは、その時からです。
–家族や周囲の人たちに勧められたのではなく、自らの意思で茶業の世界に飛び込んだのですね。
時折、友人が私のところにお茶を買いに来てくれるのですが、そのたびに「茶師らしくもてなしたい。でも具体的にどうすれば良いのか分からない」となります。
結局、ただ座って「最近あったこと、思うこと」を話して笑いあうだけです。
でも、そうした時間がとても暖かくて心地よくて。中心にその場に合ったお茶が在る。私はそれだけで充分な気がしてきました。
日常で人々のふれあいの傍らにあるお茶。私はそんな「人々のそばにいるお茶」を届け続けたいです。
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マルマサの情報
住所 | 事前予約なしの訪問は固く禁止 |
ホームページ | https://chashi-marumasa.shop-pro.jp/ |
電子マネー・カード決済 | ネットショップのみ一部対応 |
営業時間 | 不定期 |
定休日 | 不定期 |
駐車場 | なし |
この記事を書いた人 | Norikazu Iwamoto |
経歴 | 「静岡茶の情報を世界に届ける」を目的としたお茶メディアOCHATIMES(お茶タイムズ)を運営。2021~23年に静岡県山間100銘茶審査員を務める。静岡県副県知事と面会。お茶タイムズは世界お茶祭りHP、お茶のまち静岡市HP、静岡県立大学茶学総合研究センターHP、農林水産省HPで紹介されています。地元ラジオやメディアに出演経験あり。 |